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<ノベル>
「つまらない顔をしてるわ」
陽が落ち、人の見分けもつかない黄昏時。
ネオンが色鮮やかに輝く大通りの脇、一歩入れば途端に喧騒の遠くなる、横に逸れた暗い路地。
艶やかな女の声と共に甘い薫り。これは麝香か。
リョウ・セレスタイトは足を止めた。
「ねぇ、遊んで行かない?」
この黄昏時、この暗い路地においてなお白い肌。リョウは眼を細める。
「姉さんが相手してくれるのか」
するりと腰に手を回しその顎を持ち上げ、唇をなぞる。形の良いふっくらとした唇をゆるりと緩めて、女はリョウの胸に寄り添いながら、後方を見やった。白い腕がすうと持ち上がり、示す先には『Bloody Rouge』と金の文字で書かれた深紅の扉。
「どうかしら?」
艶然と笑む女。
「いいね」
リョウは三日月に笑んだ唇に口付ける。目を細め、冷たい唇の代わりに冷たい指を重ねた。
「せっかちね」
肩を竦めると、女はくすくすと笑みながらひらとドレスを翻す。その背中が白くくっきりと見えた。高く結い上げられた黒い髪、その項は匂い立つばかりの美しさだ。
女が扉を開ける。
扉の奧は、漆黒の闇だった。
肩越しにちろりと瞳を向ける女。
──挑戦的な視線。
リョウはくつと唇を歪め、その赤を追った。
軽い音を立てて、扉が閉まる。
それは、誰も知らない黄昏時。
昼と夜の間隙、逢う魔が時の出来事。
◆
甘く強く麝香が薫る。
「怖い?」
甘く囁く女の声。
重く低く鎖が鳴る。
リョウは冷たい枷に絡め取られながら、ただ笑った。
「あんたの顔が見えない事だけが、残念だ」
それに女はくすくすと笑んだ。
目隠しはない、ただ漆黒の闇の中。手探りの遊戯が女の好みであるらしい。
鎖の音。
首に繋がる鎖を引かれたらしい。両腕も鎖で繋がれているから、無理矢理に顔を持ち上げられた形になる。
ひたと顎に冷たい感触。女の手だ。手は輪郭を確かめるように、そろそろとなぞる。唇をなぞる指を軽く舐めると、女はくすくすと笑った。耳元に熱い息がかかり、啄むような冷たい感触。
「どうして笑うの?」
「くすぐったい」
鈴のように女の声が転がって、首を伝って胸を這い、背中に回る。女の髪がリョウの頬を擽り、麝香が鼻孔を刺激する。髪に顔を埋めてキスを落とす。女のくすくすと笑う声。
「──っ」
背中に鋭い痛みが走って、リョウは微かに顔を歪めた。くと首の鎖を引かれる。挑戦的な笑みを浮かべた女が見えるようで、リョウは青い瞳を細めて笑った。
「ワイルドな女は好きだぜ」
くつと笑う声。突き立てられた爪がそのまま下へ引き下ろされる。表情に余裕は作るものの、暗闇のなかでは意味を為さない。強張る体に、女は愉快げに笑った。リョウは苦笑う。
「烈しい女」
「生意気」
噛み付くような、荒々しくねっとりとした深い口付け。女の指がリョウの細い髪を掻き回す。女の豊満な身体が絡みつく。絡め取る鎖がのたうつ。熱い吐息が続く。
甘い麝香が薫る。
「残念だ」
熱を帯びた唇が離れて、リョウは呟く。
「顔が見えないから?」
くすくすと胸にすり寄る女。
「こんな生臭い中じゃなきゃ、もっと楽しめた」
ぴたりと女の笑みが止まる。
「麝香で誤魔化しているつもりなんだろうが、染み付いた屍臭は誤魔化せないぜ」
甘い薫りに紛れて鼻を掠める、血の臭い。
普通の人間なら、気付かなかったかもしれない。いや、気付かないだろう。
リョウ・セレスタイト。
彼はSFアクション「ディヴィジョンサイキック」より実体化した、超能力者で構成された刑事部能力捜査課通称DPの特殊警察官である。異常の臭いは知っている。
たっぷりとした沈黙が流れ。
「そう」
女は呟いた。
「それなら、目隠しをしている意味もなかったわね」
女の声が僅かに冷徹さを含んだ。
ふいにリョウのいる場所からさして離れていない場所に、ぼうやりとオレンジの明かりが灯った。その光の周りを、ランプシェードが囲っている。
リョウは目を見張った。
それは、骨であった。背骨から胸骨へつながって胸部の内臓を保護する左右十二対の骨、その中身は今や空となり、代わりに、五指の手が発光するガラス球を包み納まっている。
明らかに人骨。十二対の骨には、薄い膜すらこびり付いている。
「綺麗でしょう」
恍惚とした女の声。見やれば、うっとりと微笑んでいる。
片眉を上げると、女は上目遣いに、にたりと笑った。
「貴方はとても美しいわ」
「よく言われる」
女はくすくすと笑んで、白い手でリョウの頬を愛撫する。
「そういう可愛げがないところも、好みよ」
女の目が三日月に笑う。
ぽつぽつと明かりが灯っていく。
頭蓋の蝋燭立て。心臓の皮を被せたランプ。
それらが照らすのは、誕生日パーティーのように飾り付けられた腸。
「ぜぇんぶ、私の手作りなの」
透明なガラス瓶に詰められた眼球。皮を剥がされ、肉を晒す屍体。
「目を抉るのも、皮を剥がすのも、もちろん生きている内にするのよ」
ほとんど黒ずんだ血飛沫に彩られた壁に掛かる絵画の額縁は、腕を肩から斬り落としたもの。
「可愛い声で鳴く声を聞くのが好きなの」
幾つかの人間を繋ぎ合わせた、奇怪なオブジェ。
「貴方は、どんな声で鳴いてくれるかしら?」
品の良いランプの傍に、苦渋に満ちた表情の男。
いや、それは男“だった”ものだ。首を切られ、未だ乾ききらぬ血を溢れさせ、絶望に打ち拉がれた男だったモノ。
「鳴かせる方が、得意なんだけどな」
女は声高く笑った。
左手に首に繋げた鎖、その右手に血がこびり付いた短剣が握られている。
「貴方は美しいわ。だから、剥製にしてあげる」
右手を振る。微かに風を切る音がして、はらりとリョウのシャツを切り裂いた。一筋、赤が走ると女はリョウの前に跪く。
「声一つ上げない。ますます好みよ」
言って、赤い舌を這わせた。
「あんたは薔薇だ」
鎖の落ちる音。
女はこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。
反射で振り上げた細い手を取って、リョウはその腰を引き寄せる。
「綺麗な薔薇には刺がある。棘に刺さるのは、男と相場が決まってる。だが」
その深紅の唇に口付けて、とうに錆びついた短剣をその胸に深く刺した。
麝香の薫りが一層強くなる。
「開きすぎた薔薇は、散るもんだ」
女は自分の胸を見下ろし、リョウの青い瞳を見つめた。
「貴方みたいなヒト、初めてよ」
形の良い唇が、ぞくりとするほど艶めかしく笑む。
「女泣かせの、嫌な男ね」
「よく言われる」
くすくすと女は笑った。
「冗談」
冷たい手が、短剣を胸に突き刺したリョウの手に重ねられる。
「貴方は──ね」
すとんと落ちる女の手。
同時に、景色が歪む。
気が付いた時には、リョウはあの暗い路地の中に一人、佇んでいた。
冷たい風が吹き、胸に凍みる。
見れば、一筋の赤が引かれていた。手首も赤くなっているから、首も赤く痕が付いているだろう。
蒼い髪を軽く流して、リョウはジャケットの襟を合わせた。
煙草に火を付け、ネオンの煌めく世界へと戻っていく。
「いい女だったけどな」
一人呟いて、リョウは煙を吐き出した。
白い煙は一陣吹いた風に掻き消されていく。
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クリエイターコメント | 大変お待たせいたしまして、本当に申し訳ありません。 木原雨月です。 ご期待にお応え出来ているかどうかだけが、心配であります。 気に入っていただければ、幸いです。 何か気になった点などがありましたら、遠慮無くご連絡くださいませ。 この度はオファー、ありがとうございました。 |
公開日時 | 2009-03-06(金) 19:40 |
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